![]()
|
全国パン粉工業協同組合連合会 専務理事 弓削 利雄 |
||
1.パン粉企業の歴史 明治初期、政府は欧米文化の摂取に意を 注ぎ、その推進に努力したため、欧風化が 急速に進み、東京等では欧米人の往来も多 くなってきた。欧風化が進むにつれて、生 活様式も変わり、食生活は日本食一辺倒で なくなり、洋風料理がはじまったといわれ ている。 パン粉を利用したフライ食品は、西欧よ り取り入れられ、日本で発展した日本式洋 食である。欧州では、油脂は貴重品であっ たので、油で揚げる料理は少なかったが、 ウィンナーシュニッツエルは、牛肉を薄く のはし、パンを砕いたものをまぶし、油を ひいた鍋で焼く料理で、これが後にビーフ カツレツとなり、トンカツに発展したとい われている。 このように、フライ食品に使用されるパ ン粉は、明治時代バンを砕いて肉、魚等に 付け、天ぷらの様に、揚げた物が洋食店の メニューにのり始めた。その後、徐々にこ のような日本独自の食文化と融合し、創造 された洋風和食、和風洋食が市民の中に浸 透しはじめた。 その中で、明治40年には丸山寅吉氏(東 京パン粉且ミ長)がパン粉製造用食パンの 製法および食パンの粉砕器を工夫し、東京 にパン粉製造工場を建築し、機械を整備し パン粉の製造販売を開始した。この創業が | 日本初のパン粉製造販売業と開くが、その 販売には相当苦労されたようだ。その後、 明治42年に上野不忍池畔で東京勧業薄覧会 が開催されたのを契機に、パン粉を使用し た揚げ物、カツレツ、コロッケ、魚フライ を宣伝し、パン粉が全国に広まったといわ れている。その後、パン粉をつけた食品が 普及するに従ってパン粉製造業者の数も増 え、昭和6年には帝都パン粉組合が設立さ れ、前述の丸山寅吉氏が初代理事長に就任 された。 昭和16年太平洋戦争が始まり、物資統制 令の発布により、物資はすべて統制下に置 かれ、配給制度となり、昭和20年の終戦、 昭和25年の麦の統制解除まではパン粉製造 業者は減少の一途をたどった。 昭和26年麦が間接統制となり、小麦粉が 自由に売買できるようになり、パン粉も次 第に市場に出回るようになった。 その様な状況のなか、昭和28年関東パン 扮工業協同組合が設立され、その後曲折を 経て今日に至るが、この間パン粉製造技術 の研究開発、電極板素材の許認可等が推進 された。 経済環境として、昭和30年代の日本の経 済成長に伴って、日本の栄養改善の動きの 中、料理素材(魚、肉、野菜等)を美味に 食する上で、パン粉はフライ料理にはなく てはならない食品となっている。その後、 食生活の洋風化の波に乗り、また冷凍食品 |
|
| 無断転載を禁じます。 | 1. |